2009年12月28日
今日の読書
- K2 2006 - 東海大学K2登山隊
日本人女性初登頂・世界最年少登頂の記録
「一度眠ったら、もう起きないっていうことありませんよね?」・・・
読書家ではない私。。。年末年始の空いた時間に珍しくも本でも読んでみようかという気になった。
前から気になっていた「K2 2006」を図書館に予約していたので、すんなり借りることができた。
K2は標高8,611mの世界第二位の高峰、世界最高峰のエベレストに比べ、極端に登頂成功率が低く、世界で最も困難な山として知られている。

そのK2に2006年、東海大学の若いOB、OGや現役学生、学内登山団体有志で組織した「東海大学K2登山隊」が登頂成功から消息不明、奇跡の生還までの壮絶な記録を詳細に綴っているのがこの書籍。
風景写真や行動記録はもちろんだが、装備一覧や食料一覧、輸送梱包、医療機材リスト、会計報告まで詳細に記録されている。

何よりこの書籍を読んでみようと思ったのは、アタック隊の小松隊員が秋田県出身であったこと、また、その小松隊員が日本人女性初K2登頂の偉業を成し得たことに非常に感動を受けたからだ。
彼女の頂上アタックの様子が刻銘に掲載されている。

K2山頂にアタック隊の青木隊員と到達、喜びも束の間、その下山途中の標高8,200m地点に達したとき、酸素ボンベが全て空に、BC(ベースキャンプ)とはまったく交信できない状態、24時間極限の状態での行動による疲れから、切り立った崖の隙間で無酸素で立った状態でビバークすることを決断。
「一度眠ったら、もう起きないっていうことありませんよね?」と青木隊員に「大丈夫、そんな事ないよ」と小松隊員は答える。
真っ暗な崖の上、氷点下25度という極限の世界、不安も大いにあっただろうが、アタック隊のリーダーとしての自覚とともに、生きて絶対に帰る、という強い集中力と精神力があったからの答えだろう。
ビバーク地点での朝を迎えた時の小松隊員の感想が心に響く。
「6時ごろ、強烈な温かみを感じて目をあける。眼下に雲海が紫色に広がっていた。その遥か彼方から太陽がいま登ろうとするところであった。光の筋が無数に空に伸びて広がってゆく。私たちが座っていた山肌にも、太陽の光に白く輝いた。光の中にいるような感じがして、そのあまりの美しさに涙がでた。世界はただ美しかった。人間が見てはいけないものを見た感じがした。生まれてきた瞬間を思い出すような、そんな気さえした。太陽や雲や風が、二人に「生きなさい」と言ってくれているように感じ、この世界に戻りたいと強烈に思った。」と・・・。

また不思議な体験もしている。
ビバーク地点から最終アタック地点C3(K2の肩と呼ばれる地点)にやっとの思いで戻ってきた。昼過ぎに寝転がって休んでいると、テントに近づいてくる足音が聞こえる。K2の肩の下のほうから、ザクッ、ザクッっと雪を踏み分けテントに向かってくる。そしてその人物はテントの近くで外国の言葉で話している。小松隊員も青木隊員も疲れていたため、その時わざわざテントの外にでなかったが、後で外に出てみると、人が来た形跡はまったくない。夜就寝前も同じ足音と声が聞こえた。
小松隊員はその時の状況について「K2の肩、雪に埋もれたテントの中に数体の遺体が今も残されている場所。その誰かが、ずっと冷たく寒いこの場所にいてきっと寂しかったから来たのだろう。よくよく思い出してみるとかたりかけるような静かな声だった。だがあの声を聞いたとき、テントをあけずに良かったと今でも思う。もし開けていたら、二度と戻れなかったような気がしてならない。やはりこの場所は死の地帯なのだ、何か違う存在があると感じた。」

3年前の登山記録だが、読んでいるうちに私自身が今体験しているかのような感覚になるほど、とても見応えのある書籍になっている。
日本人女性初登頂した小松隊員、世界最年少登頂した青木隊員、それを支えたスタッフたち、遅ればせながら心から祝福するとともに、今後の東海大学山岳部や関係者の活躍を期待している。
興味のある方はぜひ読んでみては如何だろうか?
前から気になっていた「K2 2006」を図書館に予約していたので、すんなり借りることができた。
K2は標高8,611mの世界第二位の高峰、世界最高峰のエベレストに比べ、極端に登頂成功率が低く、世界で最も困難な山として知られている。
そのK2に2006年、東海大学の若いOB、OGや現役学生、学内登山団体有志で組織した「東海大学K2登山隊」が登頂成功から消息不明、奇跡の生還までの壮絶な記録を詳細に綴っているのがこの書籍。
風景写真や行動記録はもちろんだが、装備一覧や食料一覧、輸送梱包、医療機材リスト、会計報告まで詳細に記録されている。
何よりこの書籍を読んでみようと思ったのは、アタック隊の小松隊員が秋田県出身であったこと、また、その小松隊員が日本人女性初K2登頂の偉業を成し得たことに非常に感動を受けたからだ。
彼女の頂上アタックの様子が刻銘に掲載されている。
K2山頂にアタック隊の青木隊員と到達、喜びも束の間、その下山途中の標高8,200m地点に達したとき、酸素ボンベが全て空に、BC(ベースキャンプ)とはまったく交信できない状態、24時間極限の状態での行動による疲れから、切り立った崖の隙間で無酸素で立った状態でビバークすることを決断。
「一度眠ったら、もう起きないっていうことありませんよね?」と青木隊員に「大丈夫、そんな事ないよ」と小松隊員は答える。
真っ暗な崖の上、氷点下25度という極限の世界、不安も大いにあっただろうが、アタック隊のリーダーとしての自覚とともに、生きて絶対に帰る、という強い集中力と精神力があったからの答えだろう。
ビバーク地点での朝を迎えた時の小松隊員の感想が心に響く。
「6時ごろ、強烈な温かみを感じて目をあける。眼下に雲海が紫色に広がっていた。その遥か彼方から太陽がいま登ろうとするところであった。光の筋が無数に空に伸びて広がってゆく。私たちが座っていた山肌にも、太陽の光に白く輝いた。光の中にいるような感じがして、そのあまりの美しさに涙がでた。世界はただ美しかった。人間が見てはいけないものを見た感じがした。生まれてきた瞬間を思い出すような、そんな気さえした。太陽や雲や風が、二人に「生きなさい」と言ってくれているように感じ、この世界に戻りたいと強烈に思った。」と・・・。
また不思議な体験もしている。
ビバーク地点から最終アタック地点C3(K2の肩と呼ばれる地点)にやっとの思いで戻ってきた。昼過ぎに寝転がって休んでいると、テントに近づいてくる足音が聞こえる。K2の肩の下のほうから、ザクッ、ザクッっと雪を踏み分けテントに向かってくる。そしてその人物はテントの近くで外国の言葉で話している。小松隊員も青木隊員も疲れていたため、その時わざわざテントの外にでなかったが、後で外に出てみると、人が来た形跡はまったくない。夜就寝前も同じ足音と声が聞こえた。
小松隊員はその時の状況について「K2の肩、雪に埋もれたテントの中に数体の遺体が今も残されている場所。その誰かが、ずっと冷たく寒いこの場所にいてきっと寂しかったから来たのだろう。よくよく思い出してみるとかたりかけるような静かな声だった。だがあの声を聞いたとき、テントをあけずに良かったと今でも思う。もし開けていたら、二度と戻れなかったような気がしてならない。やはりこの場所は死の地帯なのだ、何か違う存在があると感じた。」
3年前の登山記録だが、読んでいるうちに私自身が今体験しているかのような感覚になるほど、とても見応えのある書籍になっている。
日本人女性初登頂した小松隊員、世界最年少登頂した青木隊員、それを支えたスタッフたち、遅ればせながら心から祝福するとともに、今後の東海大学山岳部や関係者の活躍を期待している。
興味のある方はぜひ読んでみては如何だろうか?
Posted by がたお at 16:44│Comments(0)
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